井上靖のことば

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「元日に思う」

2013.12.24更新
幼い頃、どうしてあんなに富士が大きく見えたのであろう。北の空いっぱ いに拡って見えた。私たち子供は田圃の畦道に棒杭のように突立って、ひびの切れた手に、白い息を吹っかけながら元旦の富士を見た。楽しいこと が起るに違いない期待に胸をふくらませ、倦(あ)かず富士を見た。

三十歳の元日、私は天津(てんしん)の病院で、白衣を着て、映写幕に映る富士を見た。 富士が映ると、手のない者も、脚気でふくれ上がった者も、銃弾を胸に持 っている者も、みんなうわあっとどよめいた。私たちには富士が母のよう に見えた。母親に手紙を書く時の顔で、私たちは慰問に送られてきた映画 の富士を見た。

今年の元日、私は子供たちと一緒に二階の西側の部屋の窓から、遠く小さ い玩具のような富士を見る。富士は夕暮の富士のように、都会の煙霧で烟(けむ) っている。富士火山帯よ、あんまり見境なく暴れないでくれ。そんな気持 で、まだ青春をどこかに持っているかも知れぬ美しい山を見る。エネルギ ーをまだ費い果たしていないかも知れぬ遠く小さい山を見る。

一九六六(昭和41)年1月1日付『東京新聞』発表。井上靖59歳。
1月3日付『北海道新聞』に「富士」として再掲。

「落日」

2013.12.24更新
匈奴(きょうど)は平原に何百尺かの殆ど信じられぬくらいの深い穴を穿(うが)ち、死者をそこに葬り、 一匹の駱駝(らくだ)を殉死せしめて、その血をその墓所の上に注ぐ風習があった。
雑草は忽(たちま)ちにしてそこを覆い、その墓所の所在を判らなくするが、翌年遺族たちは駱駝を連れて平原をさまよい、 駱駝が己が同族の血を嗅ぎ当てて咆哮(ほうこう)するところに祭壇を造って、死者に供養したと言う。
私はこの話が好きだ。この話の故に匈奴という古代の遊牧民族を信用できる気になる。
因みに彼等の考え方に依れば、そのような平原を地殻と言い、そのような平原の果てに沈む太陽を落日と言う。そして またそのような平原に降り積む雪を降雪と言うのである。

一九六二(昭和37)年4月1日発行の『風景』4月号(第3巻第4号)に発表。井上靖55歳。
詩集『地中海』 一九六二(昭和37)年12月、新潮社 収録。
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