井上靖のことば

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「石庭」

2014.3.11更新

―亡き高安敬義君に―

むかし、白い砂の上に十四個の石を運び、きびしい布石を考えた人間があった。老人か若い庭師か、その人の生活も人となりも知らない。
だが、草を、樹を、苔を否定し、冷たい石のおもてばかり見つめて立った、ああその落莫たる精神。ここ龍安寺の庭を美しいとは、そも誰がいい始めたのであろう。ひとはいつもここに来て、ただ自己の苦悩の余りにも小さきを思わされ、慰められ、暖められ、そして美しいと錯覚して帰るだけだ。


「友」

どうしてこんな解かりきったことが
いままで思いつかなかったろう。
敗戦の祖国へ
君にはほかにどんな帰り方もなかったのだ。
―海峡の底を歩いて帰る以外。

高安敬義君病死の報が齎(もたら)らされたのは終戦に間のない昨年七月末のことである。高安君は京大哲学科の出身、卒業後出征までの数年を洛北等持院にあって詩作に専念、木の葉のやうに素朴でさゝやかな、併し(しかし)その人柄のやうに無類の美しさを持った二冊の詩集を遺してゐる。昭和十九年応召、その折田辺元先生よりシラーの詩集を贈られたことは君の何よりも大きい悦びであった。それから一年余君の悲報に接した日、私は日頃君を大きい愛情をもって見守り、常に何くれとなく暖かく導かれていた久松真一先生を妙心寺にお訪ねすると、先生はすでに君の訃に接してをられ、塵ひとつとゞめぬその書斎には、君の位牌がまつられ、床には君が出征の折、書き遺して行ったといふ短冊がかけられてあった。〝この夏や汗も血もたゞに弁(べん)へず〟君が幾度か立った大陸の戦火よりなほ激しいものがそこにはあった。
                                     井上 靖

一九四六(昭和21)年五月、京都大学新聞社『學園新聞』第5号に「石庭」、「友」発表。
「友」の初出に一行あきでの付記がある。(旧漢字、ルビはこの度付記)。井上靖39歳。
「石庭」、詩集『北国』昭和33年3月、東京創元社 収録

なお、竜安寺 石庭には十五個の石を敷いている。

「孤独」

2014.3.6更新

私には何もいらない。
不思議にも巡りきた二十二年の歳月を
私は確りと握ってゐる。
あの人の心も、友の心も
いつか、私をおいとけぼりにしたけれど、
二十二年のやさしい月日は私の何処かで微笑んでゐる。
何も判らない童話の様な明日(あす)が
私から離れられない昨日になるのを
私は、夢の様な心でみつめてゐる。

未収録詩編
一九二九(昭和4)年「日本海詩人」五月号掲載。筆名・井上泰。井上22歳。

一九二九(昭和4)年の「日本海詩人」五月号に、<流れ>と共に掲載された。 目次にはこの作品名だけ載るので二編中のメイン詩と思うが、晩年の作者は 初期詩篇集から割愛した。四高柔道部退会後の心の傷と、時の流れを不思議と 感じる若さを覗かせ、しかも過ぎ去った時を人生の糧とする意志と、生きる 底力を示している。(福田美鈴・福田正夫詩の会代表)

「流れ」

2014.3.6更新

何もしやべらない木は美しい。
考へる事を忘れた木は美しい。
友よ、悲しんでくれるな。
豊満な水を湛え、洋々とゆく大川の流れに
私は、私の心と私とを流した。
明日も未来も、私のものではない。
せゝらぎ一つたてないこの大川の沈黙の歌は、
友よ、何とすばらしいではないか。
〝流れるんだ。流れるんだ〟
洋々たる流れの中で、
私は、気持よい読経の音(ね)の様に、
流れの歌に聞きほれてゐる。


一九二九(昭和4)年「日本海詩人」五月号掲載。筆名・井上泰。井上22歳。
『春を呼ぶな』一九八九(平成元)年11月、福田正夫詩の会 収録。

初めて同人詩に参加したのは「日本海詩人」一九二九年(昭和4)二月号から。この詩は同年五月号に発表。金沢、四高時代の作品。若き日の心の傷を、自然の沈黙に浸して、自分から癒す強さと屹立する姿勢がある。川は犀川か。(福田美鈴・福田正夫詩の会代表)

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