井上靖のことば

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「玉音(ぎょくおん)ラジオに拝して」

2014.8.13更新
十五日正午――それは、われわれが否三千年の歴史がはじめて聞く思いの「君が代」の奏でだった。 その荘厳な「君が代」の響の音が消えてからも、ラジオの前に直立不動、頭を垂れた人々は二刻、三刻、激動だにしなかった。 生れて初めて拝した玉の御声はいつまでも耳にあった。忝(かたじ)けなさ、尊さに身内は深い静けさに包まれ、たれ一人毛筋一本動かすことはできなかった。 幾刻か過ぎ、人々の眼から次第に涙がにじみあふれ肩が細く揺れはじめてきた。本土決戦の日、大君に捧げまつる筈の、 数ならぬ身であった。畏(かしこ)くも、陛下にはその数ならぬわれら臣下の身の上に御心をかけさせられ、大東亜戦争終結の詔書をいま下し給われたのであった。
  ――帝国ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾(ナンジ)臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨(オモム)ク所堪ヘ 難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス 朕ハ茲(ココ)ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ
玉音は幾度も身内に聞え身内に消えた。幾度も幾度も――勿体なかった。申訳なかった。事茲(ここ)に到らしめた罪は悉くわれとわが身にあるはずであった。 限りない今日までの日の反省は五体を引裂き地にひれ伏したい思いでいっぱいにした。いまや声なくむせび泣いている周囲の総ての人々も同じ思いであったろう。日本歴史未曾有のきびしい一点にわれわれはまぎれもなく二本の足で立ってはいたが、それすらも押し包む皇恩の偉大さ! すべての思念はただ勿体なさに一途に融け込んでゆくのみであった。
詔書を拝し終るとわれわれの職場、毎日新聞社でも社員会議が二階会議室で開かれた。下田主幹が壇上に立って 「詔書の御趣旨を奉戴するところに臣民として進むべきただ一本の大道がある」と社員の今日から進むべき道を説けば、上原主筆続いて「職場を離れず己が任務に邁進することのみが、アッツ島の、サイパンの、沖縄の英霊に応える道である」とじゅんじゅんと声涙共に下る訓示を与え、最後に鹿倉専務また社員のこれまでの「闘い抜く決意」を新しい日本の建設に向けることを要請した。われわれの進むべき道は三幹部の訓示をまつまでもなくすでに御詔勅を拝した瞬間から明らかであった。
一億団結して己が職場を守り、皇国興建へ新発足すること、これが日本臣民の道である。われわれは今日も明日も筆をとる!

井上靖は1945(昭和20)年8月15日に終戦の記事「玉音ラジオに拝して」を執筆。
8月16日の毎日新聞大阪版・社会面トップ記事となった。当館で記事縦書きを横書きにおこしルビをふった。井上靖 38歳。
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