井上靖のことば

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「手」

2014.11.1更新

今日は誰も話しかけてくれるな。私は喪に服している。中島栄次郎が南の島で戦死してから三十七年、高安敬義が大陸で戦死してから、この方は三十八年であろうか。私より幾つか年少の二人の優れた友が、今暁、往年の若さのままで、私の書斎の戸を叩いてくれたのだ。
中島は大阪の新聞社の傍の小さい喫茶店で、カントの幾つかの言葉について語り、そして〟では〝と言って椅子をあとにひいた。高安の方は茨木の私の家で、哲学雑誌に載せた己が「倫論」の一部を読んで、そして暗い夜道を帰って行った。それが二人との別れ。それから茫々三十余年。
私は終日、秋の気の深まる音のようなものの中に身を置いている。二人の友が最期に上げたであろう一本の手を瞼に浮かべている。その手をめぐって何ものかが流れている。粒子のようなものが、霧のようなものが、しんしんと流れている。私は今日一日、思いをそこからはなさないでいたいのだ。私はいつか迂闊にも、二人の友の倍の年齢を生きてしまっている。

1982(昭和57)年7月1日の『すばる』7月号に発表。
詩集『シリア沙漠の少年』、1985(昭和60)年8月、教育出版センター収録。


「落葉」

2014.11.1更新

―眼鏡がどこかへ逃げちゃった!
今朝、私が言うと、五歳の孫娘は方々探し廻った挙句、
―洗面所の鏡の横に匿れていたの!
と、眼鏡を書斎まで持って来てくれた。そしてその序でに縁側から庭を眺め、一面に散り敷いている枯葉を指差して、
―誰が撒いたの?
と訊いた。みごとな質問だったので、正しく答えてやらねばならなかったが、答えられなかった。
誰が撒いたのであろうか。答えられぬままに晝が過ぎ、夜になり、そして深更に及んでいる。耳を傾けると、庭では今も何ものかが枯葉を振り撒いている。
その音が聞える。


1984(昭和59)年1月1日の『すばる』新年特大号に発表。
詩集『シリア沙漠の少年』、1985(昭和60)年8月、教育出版センター収録。
同詩集を28年ぶりに2013(平成25)年8月、銀の鈴社が復刊。当館でも販売中。

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