井上靖のことば

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「カマイタチ」

2014.12.2更新

学校へゆく途中に犀ケ崖という小さい古戦場があった。昼でも樹木鬱蒼とした深い谷で、橋の上からのぞくと、谷底にはいつも僅かな溜り水が落葉をひたしていた。ここは日暮時にカマイタチが出るというのでみなから怖れられていた。カマイタチの姿をみたものもない。足音を聞いたものもない。が、そいつは風のようにやってきていきなり鋭利な鎌で人間の頬や腿を斬るという。私たちは受験の予習でおそくなると、ここを通るのが怖かった。鞄を小腋にかかえて橋の上を走った。
ある時、学校で若い先生がカマイタチの話を科学的に説明してくれた。大気中に限局的な真空層が生じた場合、気圧の零位への突然なる転位は鋭い剃刀(かみそり)の刃となって肉体に作用すると。そして犀ケ崖の地勢はかかる大気現象を生起しやすい特殊な条件を持つものであろうと。その時からカマイタチという不気味きわまる動物への恐怖は私から消失したが、私が人生への絶望的な思惟の最初の一歩を踏み出したのは、恐らくこの時なのであろう。
私はいまでも、よく、ふとカマイタチのことを思い出すことがある。突如、全く突如、人間の運命の途上に偶発するカマイタチ的エア・ポケットの冷酷なる断裁!すでに犀ケ崖は埋立てられ、何年か前から赤土の街道がまっすぐに旧陸軍飛行場に走っているが―。

1947(昭和22)年6月10日『火の鳥』に発表。
詩集『シリア沙漠の少年』、1985(昭和60)年8月、教育出版センター収録。


「渦」

2014.12.2更新

静かな初冬の日、藍青一色に凪いだ南紀の海はその一角だけが荒れ騒いでいた。波浪は鬼ケ城と呼ばれるその岬の巨大な岩壁を咬み、底根しらぬ岩礁のはざまはざまに、幾つかの大きい渦をつくっていた。むかし鬼が棲んでいたと伝えられる広い岩のうてなの上に立って、私は刻(とき)の過ぎるのも忘れて、ただ刻まれては崩されている渦紋の孤独傲岸なマスクに心うばわれていた。
そこの旅から帰り、都会の喧噪な生活の中に立ち戻ってからも、私はよく、夜更けの冷たいベッドの中で、そこ遠い熊野灘の一隅の黯い潮の流動を思いうかべることがある。そんな時きまって思うのだ、あそこには鬼が棲んでいたのではない、棲んでいた人間が鬼になったのだと。そしていまこの瞬間もまた、あの暗褐色の濡れた肌へに息づき、くろい潮のおもてに隠見しているに違いない名知らぬ藻の、この世ならぬ碧(みど)りの切なさを見つめていると、真実、いつか鬼以外の何ものでもなくなっている己が心に冷たく思い当るのであった。

1947(昭和22)年4月1日『詩人』に発表。
詩集『シリア沙漠の少年』、1985(昭和60)年8月、教育出版センター収録。
同詩集を28年ぶりに2013(平成25)年8月、銀の鈴社が復刊。当館でも販売中。

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