井上靖のことば

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2015.6.12更新



「ここ中国山脈の稜線 天体の植民地 風雨順時 五穀豊穣 夜毎の星闌干たり
四季を問わず凛々たる秀気渡る ああ ここに中国山脈の稜線 天体の植民地」

「天体の植民地」
鳥取県日野郡日南町の文学碑。1978(昭和53)年8月建立。


本年から70年前の井上靖は38歳。1945(昭和20)年6月から12月までの「日本が一番きびしい時期、短い間だが・・」、戦時の空襲をさけるために家族を疎開させた。大阪府茨木町の借家から大阪毎日新聞へ出社した井上は疎開先、鳥取県日野郡日南町(F村・旧福栄村)、「天(あま)が下ただ一つの自由な樹陰」(『通夜の客』)の家族をおもった。
その家族とは9歳の長女、5月に生まれた次女の間に二人の男の子、ふみ夫人、その母上だ。その間のことをふみ夫人は「記録」している。(新潮社「井上靖全集・月報19」)
井上39歳、疎開地F村のことは散文詩「野分(一)」、「野分(二)」、「高原」、41歳の小説『通夜の客』、『あすなろ物語』の「星の植民地」などにかいた。戦後、井上の歩みは「天体の植民地」日南町からはじまったのだろうか。

この文学碑は小説「通夜の客」の舞台、旧福栄村太田集落をみわたせる太田峠にたてられている。この碑ができた7年後の1985(昭和60)年3月、井上自筆の「井上靖記念館」、「野分の館」の扁額をならべて六角堂風の記念館が開館した。
井上を顕彰する「野分の会」は2011(平成23)年、井上が逝去して10年の節目に案内板「井上靖と家族の疎開の道」をラクダのこぶを見通す峠に建てた。日南町には今も「井上靖、疎開の道」がある。


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